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MAC with ガールズ

NHKラジオの収録が終わった後に、私の昔の職場に顔を出した。職場の皆さんもずっとこのチャレンジを応援してくれていたので、無事終わったことをいち早く伝えたかったのだ。

私が初めて社長に「会社を辞めたい」と言ったのは去年の1月。

社長は、「何、オーストラリアに戻るのか?」とまず最初に言った。
私は、「いえ、そうじゃなくて、チャリティ活動しながら日本縦断したいんです」と言った。
さぞ驚くだろうと思ったのに、社長は以外にもとても協力的だった。

「実希ちゃんがきちんと考えて決めたことなら応援するよ。でも日本縦断って大変だぞ。お金とかトイレとかどうすんの!もちろん荷物は誰かに持っていってもらうんでしょ!?どうやって縦断するんだ?自転車か?歩きじゃ無理だろ~」

こんなに心配しているのに、まさか竹馬で、、なんてとても言えない。とりあえず、歩きで縦断、なんとか頑張ります!と答えた。

それから会社のみんなにもこういう理由で会社を辞めると伝えると、反対するどころか今しか出来ないからと、みんな応援してくれた。
社員は社長意外みんな女性である。営業も事務も経理もバイトもすべて女性。そしてどういう訳か、みんなとても個性的でしかも綺麗。そして歌がうまい。社長の雇用基準だろうか(笑)。
しかしともかく私はこの職場が大好きだった。普通女性だけの職場だと色々と問題があったりするだろうと想像するかもしれないけれど、自立していて個人を尊重できる大人の女性の中で働ける環境は最高に贅沢だったし、自分にとってもとてもプラスになったと思う。

私が初めてみんなに「竹馬」で日本縦断すると伝えたのは、私の送別会の日。どんな反応されるか恐ろしくて辞める最後の日まで言い出せなかったのだ。

すこしワインをみんなに飲ませてからだったら大丈夫かな~。。。とか色々考えていたら、前にちょこっと話をして、私が竹馬で縦断することを知っていたリーさんがぼそっと
「あれ?みき竹馬で行くんだよね?」 
みんな一瞬目が点。
「ぇえええ~!!!うそでしょ!?」 口をそろえて驚きの声が聞こえてきた。
そこからはあとの祭り。ともかくみんなに伝えることが出来て良かった良かった。りーさんに感謝!

そのあと、私達のチャレンジ前のキックオフパーティをやったのだが、それにもみんなで来てくれた。綺麗なドレスで竹馬に乗っていた人もいた(笑)

そしてチャレンジを終えてミックと一緒にオフィスへ行くと、みんなで出迎えてくれた。オフィスに行く前に、みんなの名前を間違えないように何度も復唱していたミック。私は会社の話をするときは、ミックがなかなか名前を覚えてくれないのでその人の特徴でニックネームをつけていた。
「インディアンガールはトモさん(インド人ではありません)、ニューガールはカエちゃん、アカウンタントガールはアヤコさん、CZマネージャーはワカコさんだからね!」
「うん、分かった!」
と言っていたけど、、綺麗なお姉さん達に囲まれてラジオより緊張してしまったらしい。なんだかしどろもどろ。それはともかく、私は前と全然変わらない皆さんに会えてとても嬉しかった。

今まで応援してくれて、そして寄付も頂き本当にありがとうございました!
また会えるのを楽しみにしています。


PS:そして影ながら応援してくれた甲府のおじちゃん、ありがとうございました☆

posted by Mick and Miki Tan @ 17:13, ,




NHKラジオビタミン出演!

1月25日、NHK第一のラジオビタミン、ときめきインタビューに生出演してきました!
放送時間はなんと1時間!私達がNHKのラジオに出るとは夢にも思っていなかったので放送前は少し緊張してしまいました。でも、パーソナリティの村上信夫さん、神崎ゆうこさんはとてもフレンドリーで優しく接してくれて、少し話していたらすぐに緊張がとけました。長いと思っていた1時間があっという間に過ぎてしまってびっくり!
ラジオ出演中にも、私達を見た!とたくさんの方からメールが届いていました。私達が旅中で会った方や、知り合いもみんなラジオを聴いてくれていました。

「旅の大変さや、人の暖かさが伝わるいいインタビューだったね」
「全然緊張している様子もなくて和やかで良かったよ!」

このチャレンジを終えることが出来たのは、今まで私達が出会った皆さんに支えられてきたからです。だからときめきインタビューを通じて、今まで出会った方達に旅を無事終えることが出来たということ、そして感謝の気持ち伝えることが出来たこと、本当に嬉しかったです。


放送中に私達がリクエストした曲、2曲紹介してくれました。

1曲目はJason Mraz のI'm Yours。

これは北海道を歩いている頃あまりにも退屈で、何か歌える曲教えて~とミックに言ったら、この曲を教えてくれました。お陰でトンネルがあるたびに2人でこの曲を歌うようになったのです。(トンネルは声が響くから気持ちいいのだ^^)

2曲目は宇宙戦艦ヤマトのテーマソング。

福井県の敦賀市にはなぜだか分からないけど、ヤマトに出てくるキャラクターの肖像があちらこちらにあります。それを見て、
「ヤマトのテーマソングってどんな曲だったっけ?」
とミックと道路の脇で休憩していた時に話した時から、ことあるごとにこの曲を口ずさむようになったのです。なんか元気になるんだな。この曲。しかもミックも子供時代オーストラリアで英語バージョンのヤマトを見ていたというから驚き。日本だけじゃなかったんだ!

無事ラジオ終了。本当に楽しい1時間でした☆

そして、そもそもこのラジオに出演出来たのも、ラジオビタミンのディレクターである西村さんが私達を見つけてくれたお陰です。西村さんは私達が佐多岬にゴールしたのをニュースで知って連絡してくれたのです。以来、私達の過去のブログを読んで、旅について私達より詳しんじゃ!?というほど情報収集してくださったのです。

西村さん、私達にこんな素敵な機会を与えてくださって、本当にありがとうございます。

村上さん、神崎さん、私達のチャレンジを日本中の皆さんに伝えてくださり、本当にありがとうございます!

posted by Mick and Miki Tan @ 21:13, ,




1円=1坪の森林の価値 

1月20日に私達のチャレンジをずっとサポートしてくれたBOS日本の理事長、宮崎さんとお会いすることが出来た。宮崎さんに初めてお会いしたのは2008年10月頃、BOS日本の事務所だった。竹馬で日本縦断しながら募金活動をすると言ったときに宮崎さんは、
「これはなんとも。。無謀なチャレンジを考えましたねぇ」 と子供っぽい笑みを浮かべられた。
私達がチャレンジの募金先をBOS日本にしようと考えたのには訳がある。その理由は主に3つ。

-日本でやるチャレンジだから信頼のおける日本のNPO団体にしたい。

-私達自身自腹を切ってやるのだから、集めた募金の使い道は100%オランウータンのために使われなければいけない。(募金がNPOの運営費やスタッフのお給料になってしまうことがないようにしたい)

-これから先絶対的にオランウータンに必要なのは住むための森なので、オランウータンが住む熱帯雨林を守るための費用として募金を使ってほしい。(オランウータンのリハビリ施設運用費なども考えたけど、それよりもまずはどんどん無くなっている森を確保する方が大切だと思った
ため。)

このすべてに当てはまったのがBOS日本。宮崎さんご自身も昔は森林を伐採する側で働いていたが、オランウータンの親子にあって自分のしていることの罪深さを痛感し、植林の会社を始めるようになったというお話を聞いて、この人なら信頼できると思った。そしてタイミングよく、オランウータンの森保護再生プロジェクトに取り掛かるところだというので、私達の募金はすべてそのために使って頂く事にしたのだ。
そして私達のチャレンジのために専用の募金口座(口座名はポンゴホゴホゴプロジェクト)を作って頂いた。そしてなんと!この募金口座を、引き続きオランウータンの森保護再
生プロジェクト用の専用口座にしたいと言ってくれた。このプロジェクトのために必要な資金は300万ドル。その資金をためる口座としてポンゴ口座を使っていただけるなんてなんて嬉しい申し出!宮崎さんありがとうございます!

そのオランウータンの森保護再生プロジェクトですが、詳細な情報を得たのでここで説明しておきます。↓以下、宮崎さんのメールを一部引用させて頂きました。

インドネシア政府の方針で、2015年までに、保護したオランウ
ータンを檻で訓練するのではなく、自然状態の森で保護することが決まりました。
(森から追い払われたオランウータンを保護する施設がボルネオ島にいくつかあるのですが、せっかくオランウータンを
保護して訓練しても、彼らをリリースする森がないのが現状なのです)
このためにBOSとして106、000ヘクタール(3億2100万坪)の奥地の森林の利用権を確保して【100年】そこにリリースすることになりました。この森林を確保して利用する権利料と、リリースするための費用で、合計300万ドル(約3億円)必要です。

-約3億坪の森林を3億円で確保する-

ということは、1円あったら100年間、一坪の天然林を確保できるということになります。


そう考えると、1円の力ってすごいと思いませんか?インドネシア政府が保護しようとしているエリアは、森林伐採されてしまったエリアではなく、まだ天然林がのこっているエリアです。なのでこのような安価で森林が保護出来るのです。もし伐採されてしまった土地を再生して森を作ろうとしたら、まずは植林しなければなりませんよね。すると植林する費用もろもろで、1円では到底1坪の森は確保出来ません。だから今現存する熱帯雨林は本当に価値が高いものなのだなぁと改めて感じます。

私達がこのチャレンジ中に集めた募金は約110万円。ということは、皆さんに頂いた募金で、110万坪の森が守られるということです。これって本当にすごいことです!改めて、募金をして下さった皆さんに感謝です。

竹馬の旅は終わったけれど、これからもオランウータンの森のために出来ることを続けて行きたいと思います。目指せ300万ドル!

これは宮崎さん親子から頂いた感謝状です。インドネシアの方が一つ一つ手作りで作っている、2つとないフレームに入れてくれました。この感謝状は我が家の一番高いところに飾ってあります。

この旅で学んだことをずーっと忘れないように。




posted by Mick and Miki Tan @ 20:22, ,




千葉の友達

千葉に帰ってそうそう、友達のSteve&愛ちゃんがお家でパーティを主催してくれた。そこにはおなじみのメンバー、Darrell&のぶこちゃん、Robbie&ミア、Matt、ほかたくさんの人たちがいた。このメンバーでは何かにつけて集まって飲んで騒いで楽しんでいる。出発する前とまったく変わらない雰囲気の中にいたらやっと千葉に帰ってきたんだなぁと実感した。

私の小学校からの親友、薫ちゃんにも会ってきた。薫ちゃんは7日に出産をしたばかりで、生まれたばかりの赤ちゃんにも会うことが出来た。薫ちゃんは、私の友達の中でももっとも辛口である。私がこのチャレンジをやると打ち明けた時も、
「たとえ実希がこのチャレンジをしたってオランウータンの状況は変わらないよ」
と率直な意見を言われた。竹馬で日本縦断と言った時にも相当笑われた。あの時には私もまだ心の準備が出来ていなくて、笑われたことにかなりショックだった。でも考えたら、私にこのチャレンジをやると打ち明けられたほとんどの人は、薫ちゃんと同じ気持ちだったんじゃないかなと思う。まず第一になんでオランウータン?そしてなぜ竹馬!?私でさえチャレンジする前に、このなぜ?がうまく自分の中で消化出来ていなかったしみんなに気持ちが伝わらなかったのは当たり前だ。
ゴールした当日、薫ちゃんからメールが入ってきた。
「素直に尊敬します」
いつも裏表なくまっすぐな意見をいってくれる貴重な友達。このメールをもらったときに、私も素直に嬉しかった。

旅が終わって真っ先に会いに行ったのは浮谷夫妻。クリスマスには、私達が泊まっているホテルを調べてサプライズでクリスマスプレゼントを送ってくれた。浮谷夫 婦の何気ない思いやりにはいつも励まされる。私達がしてもらったら嬉しいな~と思うことをいつもしてくれるのだ。何で私達の気持ちがこんなに分かるんだろ う?と不思議になる。この日もミックの大好物のラザニアを用意して待っていてくれた。浮谷夫妻は私達の千葉のお姉さんとお兄さんみたい。こんな人たちがそばにいると思うだけで暖かい気持ちになる^^

この旅中ずっと応援してくれていた笑子。会社帰りに会いに来てくれた。お父さんも自転車の旅が好きらしく、お父さんともども一緒に私のブログをまめにチェックしてくれていたのだ。12月に一緒に行くはずだった友達の結婚式に私が出られなかったときも、そのときの写真を何枚もオンタイムで送ってくれた。また千葉で、能天気でいつも明るい太陽みたいな友達に会えると思うと嬉しい^^

私の高校からの友達、理絵、有美子、未由貴と戻ってすぐにお昼ご飯を食べにいった。旅中にも会いに来ようと色々計画してくれた。とても気の会う友達で、この4人で喧嘩したことなんて1度もないかも。旅前にもらったお風呂バッグを使うたびにみんなに会いたくなったなぁ。。いつも私のことを気に掛けてくれる3人と会うことが出来てとてもホッとした。涙もろい理絵、とても素直な有美子、みんなのお姉さんのような未由貴。こんな友達をもって幸せだなぁと思う。



そして私が千葉で一番尊敬する先生であり親友の敏ちゃん。敏ちゃんは私がこのチャレンジを打ち明けてからずーっとかげながら支えてくれた。私達が取り上げられているニュースを真っ先に見つけては友達に一斉メールしてくれた。もしかしたら私達よりもメディア情報に詳しいかも!ブログを読んでは、敏ちゃんの生徒に私達がしていることを伝えてくれた。
いつも生徒のことを考えてくれる先生。生徒のために成長し続ける先生。私が高校に通っていたときにこんな先生がいたら人生変わっていたかもしれないと思う。敏ちゃんのような先生が日本中にもっと増えたらきっと日本はもっといい国になるだろうな。

ほかにも、旅中ずっと私を支えてくれたたくさんの友達がいる。みんながいたから千葉に無事帰ってこれたのだと思う。

本当に本当にありがとう!

posted by Mick and Miki Tan @ 17:38, ,




ネッピー館の須崎さん

忘れもしない2010年の私達の結婚記念日。鹿児島県、根占のネッピー館。ここの館長の須崎さんは、私達に最高の思い出をくれただけでなく、ネッピー館に私達のチャレンジのために募金箱を置いてくれることになったのだ!募金箱を私達の写真を使って作っていただき、今はネッピー館においてあるとのことです。
ちなみに、佐多岬にゴールしたときにシャンパンを開けてみんなでまわし飲みしたのだけど、その時に須崎さんに頂いた「ネッピー館」というネーム入りの湯のみを使わせて頂いた。ネッピー館は私達にとって一生忘れない思い出になりました。須崎さん、ネッピー館、本当にありがとうございます!また来年の結婚記念日にネッピー館にいけるのを楽しみにしています☆

ネッピー館のサイトはここをクリック!

posted by Mick and Miki Tan @ 21:53, ,




テニスクラブの皆さん


私達のチャレンジを聞いてずっと応援して下さっていたテニスクラブの皆さん。千葉に帰ってきた次の日に早速顔を出しに行くと、テニスクラブのレストハウスの中には、ビーパル(アウトドア雑誌)にのった私達の記事がおっきくプリントアウトして張られていた。テニスクラブの人たちも次々に、おめでとう!と言いに来てくれた。まさかこんなに色んな人がしっているとは思ってもみなかったので嬉しかった。それも私達のチャレンジを知って宣伝してくださった清水さんのおかげだ。ありがとうございます!竹馬を見て、懐かしく思ったのか代わる代わるみんな竹馬にトライしていた。さすが毎日テニスをしているだけあって、みんな運動神経がいいんだな。私達が苦労して乗れるようになった竹馬にいとも簡単に乗っちゃった。私達がテニスクラブにいる間にたくさんの方が寄付をくれた。いつも陽気で明るい皆さん、今まで応援して下さって本当にありがとうございました!!

余談だが、私は自分が小さいころから父に連れられてこのテニスクラブに来ていた。昔はとても人見知りで、父以外の人が近寄るとすぐ泣き出す厄介な子供だった。だからこのテニスクラブで私の小さいころを知っている人は、私がこんなことをするなんて思いも寄らなかったのではないだろうか。実は私はいまだにとてもシャイだし内気な性格なのだ。でもそんな自分が大嫌いだったから必死に隠そうとしているうちに人と普通に接することが出来るようになった。そしてこの6ヶ月のチャレンジでそのコンプレックスを大いに克服することが出来たと思う。そんな意味でもこのチャレンジは大成功だった!

posted by Mick and Miki Tan @ 21:45, ,




やっぱり千葉も最高!

フェリーが浜松町に着いたのが朝の5時半。仕事が休みだった私の兄が迎えに来てくれた。久しぶりに会う兄、ちょっとは6ヶ月ぶりの再会でワクワクしているかと思いきやまったく普通。というよりちょっと不機嫌。買っておいた暖かいコーヒーをあげてもあまり嬉しそうじゃない。朝早かったしな~眠いのかな~でもそんなこと気にする兄じゃないし。。なぜ?
すると、しばらくしてから「朝から歯がいてぇんだよ..」とポツリ。どうやら親知らずが生えているらしく、昨日の夜からずっといたいのを我慢して私達を迎えにきてくれたのだ。兄の親知らずは横から生えてきていて、以前抜いた時も歯と歯茎を切る2日間の大手術をしたという。堅強な兄でさえ、手術が痛すぎて思わず歯医者さんの抜く手を押さえて手術をむりやり止めさせてしまったそうだ。(よく歯医者さんが痛かったら手を挙げてね~というけど、挙げたのに止めてくれなかったそう)その親知らずがまた兄をてこずらせているようだ。私の兄はあまり愚痴を言う人じゃないのだけど、その兄が痛いっていうのだから相当痛いのだろう。そんな状態なのに悪いことしたなぁ。。ありがとうおにいちゃん!
そして千葉の実家に戻ると、待っていたのは私の両親と姉とその息子の昇君!私の両親は、私が最後までやり遂げると思っていなかったらしく、「最後までよく頑張ったな~えらい!」と言ってくれた。そして近くに住む祖父母も来てくれた。祖父は私達のチャレンジが始まってからずーっとブログをプリントアウトして私の両親に見せてくれたり、ルートの歴史などを調べて自分も旅している気分でブログにコメントをいれたりして本を作ってくれていた。時には私達のルートが変更したのに気づかずに、先回りして山口県や福岡県の歴史を調べたりしてしまったり。そういえば始まる前に祖父の散歩コースを一緒に竹馬で歩いたっけ。思えば私達のチャレンジの一番の理解者は祖父かもしれない。ありがとうじいちゃん!
そして私達のことを一番心配してくれたのは祖母だろう。心配性の祖母は、出発する前にマスクや湿布などをくれた。2つともとても役に立って助かった。帰って来た時に見せてくれた嬉しそうな笑顔、こちらも嬉しくなった。ありがとうばあちゃん!
そして私の両親は2人とも、私がしたいと言ったことに絶対Noとは言わない。失敗しても怒りもしないし慰めもしない。でも私が失敗したときには帰る場所を作ってくれる。だからチャレンジには関わりもせず、静かに見守るというスタンスだった。このスタンスが私にとってはありがたい。だからストレスなく無茶なことも出来るし、失敗することも怖くないのだ。従兄の真君は、私のことを宇宙人と呼ぶ。(普段は普通なのに、いきなり予想もつかないことをしだすからかな?)けど、この両親にしてこの子ありでしょ!パパ、ママ、ありがとう!
そして里帰り中の姉。ブログに何度か書いたが、私の姉は男まさりの誰もが認める鬼姉、間違えた!強い姉。でもやさしいところもあり、私がちょっと落ち込んでいる時なんかに可愛い昇君の写真つきのメールを送ってくれて励ましたりしてくれた。ニュースや新聞もまっさきにチェックしてくれたし。お姉ちゃんありがとう!
やっぱり実家はほっとする。母と姉が作ってくれた春巻き(私の大好物)と、私が旅に出る前に作った梅酒ですっかりいい気分。ミックも誕生日プレゼントをもらったりしてご機嫌。忘れてると思ってたのにうれしいサプライズだ。
やっぱり千葉も最高!
これから機会を見つけて千葉を自転車で一周するつもりです。やっぱりじっくり見ないといいところは見えてこないよね!

posted by Mick and Miki Tan @ 21:18, ,




ゴールの後の祝勝会 イン 下関

佐多岬に到着した翌日、私達は下関に向かった。はじめは青春18切符で千葉まで帰ろうと思っていたのだけど、不思議なもので、一度辛い旅を終えてしまうと少しでも楽をしたいという気持ちがわいてくるようだ。旅中は、竹馬じゃなくて普通に歩くことが出来るだけでもありがたかったのに、終わったとたん、何日もかけて電車を乗り継いで千葉に帰るなんて面倒で出来ない!門司からフェリーで帰ろう!ということになった。人間は、目的をうしなうととたんに怠け者になるのだと分かった瞬間。(笑)
下関では、以前講演会を手配してくれた井上さんと、私の友達の住友さんらが迎えてくれた。私達のゴールを首を長くして待っていてくれた皆さんに会って、なんだか第二の故郷に帰ってきたようだ。住友さんは、私達のチャレンジを知ったことがきっかけで、オランウータンやボルネオ島で起きていることを自分でいろいろと調べてくれたようだ。ご自身で書いている新聞のコラムに私達のことを取り上げてくれたのだが、その記事を読むと私達よりもボルネオ島のことを勉強しているんじゃないかと思うほど詳しいことが書かれていた。もともと、私達よりもよっぽどエコでシンプルな生活を奥さんのめぐみさんとされている住友さんだったが、きっとボルネオ島のことは私達のチャレンジがなければ知りえなかったことなんだろうと思ったら、自分達がやってきたことが少しは意味があるものだったと実感することが出来て嬉しかった。
その日の夜は、以前講演会に来てくださった皆さんと、その後興味を持ってくださった皆さんが来てくれた。井上さんは相変わらずハードなスケジュールにもかかわらず疲れた顔など微塵も見せず、楽しい夜を演出してくれた。そこに来てくださった皆さんはいつも何かを自分達で計画している。たとえばフェアトレードマーケットや、環境に関する講演会、反原子力発電の映画の宣伝など、さまざまなことを自分達でやろうと頑張っている。こんな会が千葉にあったら絶対行くのになぁと思った。でもきっと自分が積極的に動いていなかっただけで、きっと千葉にもこういう人達がたくさんいるのだろう。帰ったら探してみよう、千葉の井上さん。(自分で計画すればいーじゃん!って思った?ですよね・・汗)
次の日は、井上さんがいろいろなところに案内してくれた。井上さん行き着けのハナハナカフェでコーヒーを飲んでいると、日本放送ラジオ局から電話がかかってきた。私達が佐多岬にゴールしたことを知って、テリー伊藤さんと林家泰平さんのラジオ番組に出てほしいという依頼だった。お二人のことはテレビでよく知っているけど、まさか自分達が直接話すことになるなんて思いもよらずちょっと緊張~!電話で話すテリー伊藤さんの声は(あたり前だけど)テレビと同じだった。
テリーさんはまずはじめに、「日本を竹馬で縦断ってどうするんですか!シャンプーとかリンスとか持って歩くんですか!?」と聞いてきた。
この質問初めて聞かれたけど、確かに旅をしたことがない人にとっては疑問だよなぁ。私もどうやったらなるべくこぎれいな旅人でいられるのか出発する前にたくさん考えたし。でも旅を始めてみて、日本に本当にたくさんの銭湯や温泉があることに驚いた。おかげで一番お風呂に入らなかった期間は、サロベツ原野(北海道の70キロほど何もない国立公園)の4日が最長で、あとは長くても2日くらいですんだ。日本は女の子でも気をつければ楽しく旅が出来る国だと思った。竹馬はお勧めしませんが。。
そしてテリーさんが、「どうやったら私達もオランウータンを助けられるんですか?」と聞いた。この質問に私はうまく答えることが出来なかった。なぜかというと、オランウータンが絶滅しそうなのはその住む森が無くなっていることが原因なのだが、森を伐採している原因がとても複雑で、どうしたらいいと一言では言い表せないからだ。(原因はブログの1年2竹馬三千キロのタブに書いてあります)
「そうですね、よりシンプルな生活を心がけたり、マイ箸を持つとか。。」てなことを私は答えたと思うのだが、この回答じゃなにも伝わらないよなぁと思った。それからあの時なんて答えたら良かったのだろう?と考えた結果がこの答え。
「もしオランウータンを救いたいなら、今ボルネオ島でどんなことが起きているかということをまずは知ってください。そして自分で出来ることを探してみてください。もしどこから始めたらいいのか分からない場合は、私達のチャレンジの森募金にご協力ください。あなたの気持ちは間違いなくボルネオ島に届くようにします」
私達もボルネオ島に対する問題をいったいどこから始めていいのか迷った結果、始めたのがこの「森を守るための募金を集める」というチャレンジ。でも方法は人それぞれ違うし出来ることも違う。だからその問題を自分で知るということが何よりも大事なんだと思う。
7時のフェリーに乗るので、井上さんとは4時ころにお別れすることに。忙しいのに1日私達のために時間を空けてくれて、本当にありがとうございました!3月のイベントでお会いできるのを楽しみにしています。^^
そしていよいよ千葉へ帰郷。フェリーで門司から浜松町まで約1日半船の上。その間パソコンも電話もつながらない。徳島について一旦休憩している間に知り合いからたくさんのメールが入ってきた。
「Yahooのトップニュースに出てるよ!」
「日本テレビで放映されてたよ!」
エー!そんなこと全然知らなかった!!調べようと思ったけどすでに時遅し。。ま、こんなもんだよね。
たった2人で北海道宗谷岬から始めた竹馬日本縦断。最後には少なくとも全国ニュースで流れたのだから上出来でしょ!6ヶ月毎日自分との戦いで、反省、自己嫌悪、葛藤の繰り返しだったけれど、最後には自分をほめてあげることが出来る結果が残せたことが嬉しい。
よく頑張った!実希。えへ。

posted by Mick and Miki Tan @ 20:50, ,