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下関のスーパーマン




下関の講演を手配してくれた井上さん。毎日分刻みのスケジュールの中、疲労など微塵も感じさせず淡々と仕事をこなしていく。井上さんは時にはフェアトレードの買い付け、時には自然教室で働き、時にはアドベンチャーレースの主催を担当し、時には学校で講演をするなど、国内国外を飛び回るスーパーマンである。そもそも井上さんと出会えたのは私の昔の知り合い、住友さんのおかげだ。4年ほどまえ私が昔結婚式でビアノを弾く仕事をしていた頃に、住友さんは友人の結婚式に出席していてそこで出会ったのが始まり。住友さん自身サックスをやっているが、ちかじか友人の結婚式で演奏を頼まれているので一緒にピアノで弾いてくれないかと頼まれた。なので4年間のうち住友さんに会ったのは2度、メールのやりとりをしたのはそれから3度程度。それがつい最近住友さんがブログを始めたことを知らせてくれて、私のブログも読んでみて~と言ったのが事の始まりだった。そこからボルネオ島のことをよく知る井上さんに私達のことを紹介してくれ、とんとん拍子で講演会が決まったのだ。まさかこんな形で下関で講演するチャンスが得られるなんて思ってもみなかった。縁とは異なもの粋なものですね~と住友さん。
ちなみにこの日1日で、毎日新聞の取材を受け、ラジオ局(カモンFM)に出演し、唐戸市場でVELO TAXI(自転車タクシー)との写真撮影のあとふぐを堪能し、講演会、打ち上げを行った。この見事なスケジュールを余裕でこなさせてくれた井上さんの力量には脱帽、感謝、尊敬です。ありがとうございました!
そして来年の山口と千葉でのアドベンチャーレース、ミック楽しみにしております。

posted by Mick and Miki Tan @ 15:28, ,




下関の講演会

昨日12月10日、下関市民活動センターで初の講演をやらせてもらった。集まった人数は約50人、講演時間は約1時間、そして集まった募金金額はなんと35458円!
正直言って、この講演が始まる前はみんなが私達の話をどういう風にとらえるのか、私たちの活動の理由がちゃんと伝わるのか不安だった。しかも流すはずだったビデオとスライドショーがプロジェクターの不具合で出来なくなり、私達の話だけで退屈してしまうのではないかと心配した。でも話し始めて、うなずきながら真剣に話を聞いてくれる皆さんの顔をみたら、そんな心配は全く無用だということがすぐに分かった。しかもその会場に親子で来てくれていた方がいたのだが、その3人のお子さんが私達のチャレンジを知ってあるアクションを起こしてくれたのだ。
その子達は以前何年かシンガポールに住んでいたことがある。ボルネオ島にも何度か行ったことがあり、森に起こっている現状を目の当たりにしてきた。でも、何かしなければと思いつつも何をすればいいか考え付かず、次の行動に移すことが出来なかった。そんな時に私達の活動を知った。そこでこの子達は3人で相談し、オランウータンの森を救うための募金を集める方法がないかを考えた。でもこの子達はまだ子供でお金を持っていない。どうしたら募金ができるだろう?一生懸命考えた結果、お家で電気を節約することにした。電気をまめに消す、コンセントを抜く、お父さんに朝風呂をやめてもらう、そんな風にして節約した分の電気代の差額をこの募金にあてようというのだ。
なんてすごい子達だろうと思った。きちんと問題に直面して話し合って少しずつ解決しようとする、言うのは簡単だけど、実行に移すのは大人でも難しい。ミックは感動して涙ぐんでいた。私はこの子達を心から尊敬する。この活動を通じて出会えたことに本当に感謝している。
この講演の最後に、オランウータンがどんなに人間に近いか、ということを示す実際に起こった話を紹介した。せっかくなのでここでも紹介します。

それはボルネオ島に住む、ある女子大生に起こったお話です。
その女子大生は、オランウータンのことについて研究をする生徒でした。彼女はあるオスのオランウータンの生態を観察しようと。1か月森にかよっていました。しかしオランウータンは高い木の上で生活しているため、実際にそのオランウータンの顔を見ることは出来ず、いつもその影を追って歩いて回りました。その間オスのオランウータンは彼女に興味を示すことはなく、地上に近づくこともありませんでした。
一か月たったある日、彼女はいつものように森に入りました。するとそこには予期せぬ出来事が待ち構えていたのです。まっていたのはオランウータンではなく、2人の森林を伐採して働く労働者でした。2人はこの女の子が森で1人でいるのをみつけ、こともあろうかこの子を襲おうとしたのです。女の子は叫びながら逃げ回りました。しかし2人の男にはかないません。すぐにつかまってしまい、もうダメだと思った瞬間森の上から大きな音が聞こえました。彼女が顔をあげると、そこにはオスのオランウータンが立っていたのです。オランウータンは2人の男を威嚇すると、男たちは逃げていってしまいました。その後、彼女が森をでて安全な場所へたどりつくまで、オランウータンは彼女の後を木の上からついてきたそうです。

きっとこのオランウータンは、1か月自分について回っている女の子が危機にさらされているということがわかったのだろう。だから1か月間一度も木の上から降りてこなかったのに、彼女を助けるために地上におりて、彼女を安全な場所まで送り出したのだと思う。

私は、オランウータンは人間と同じように、喜びも悲しみも感じることのできる動物だと思う。だから彼らの目の前で、ただ静かに自分たちのすみかが破壊されていくのを見ることしか出来ない、その気持ちを考えると胸が締め付けられる。
オランウータンに残された時間はあと少し。それまで私は少なくとも傍観者ではなく、自分に出来ることをし続ける人間でありたいと思う。

最後に、下関市民活動センターで私達の話を聞いて下さった皆さん、そして手配をして下さった井上さん、畑山さん、本当に本当にありがとうございました!

posted by Mick and Miki Tan @ 15:26, ,




1センチから始まった竹馬行脚



旅の1日目、強風豪雨の中必死に歩いた宗谷岬。足に針を刺されているんじゃないかと思うほど痛む足を我慢して辿り着いた稚内。私今まで生きてきた中で一番頑張った!と自負しながら、旅館のお風呂を出た時にふと目に入った日本地図。見なきゃいいのについつい足がそっちに向かう。私が頑張って歩いてきた2日間の道のりは、日本地図のほんの1センチの距離。天国から地獄に突き落とされた気分だった。まだこれだけ!?いったい北海道を終えるまでにどれだけかかるんだろう。ミックが向こう側で待っていたので今見たことを伝えると、ミックも同じことを思っていたらしい。それから全体の日本地図を見るのはやめた。数日間の地図を見て、終わったら次の地図に移り、また終わったら次に移るということを繰り返した。各県を終えたら次の県の地図を買ってルートを決める。そんなことを地道に繰り返してきたら、あれよあれよと言う間に東北、北陸、関西、中国、四国を越え九州まで辿り着いていた!
今まで肉体的に苛酷なチャレンジに挑戦したことがなかった私なので、これは本当に大きな一歩である。どんなに大変なことでも一歩ずつ進めば必ず出来るんだという自信がついたし、まず何かを始めると決めることが何より大事なんだということを身にしみて分かった。私達のチャレンジの目的は子供たちに「無理だと思ってもやれば出来る」ということを伝えることが一つにある。このチャレンジを始める前は、子どもたちに偉そうなこと言っておきながら自分は生徒だった時に何かに打ち込んだことあったっけ?と疑問に思うこともしばしばだった。だから今は自分が竹馬日本縦断というチャレンジを始めて本当に良かったと心から思う。この経験がなかったら、何かをやる前に諦めてしまったり、怖がって始めることも出来ない自分に対して罪悪感さえ持たずに人生を終わってしまっていたかもしれない。だからこのチャレンジのきっかけを作ってくれたミックの学校の生徒達に、応援してくれた人たちに、そして一緒にこの旅を続けてくれるミックに感謝。そして自分のことを少しだけ好きになった自分を褒めてあげたい^^

posted by Mick and Miki Tan @ 15:22, ,




愛媛県はやっぱりみかんの産地


しまなみ海道を渡るやいなや、みかんの木がそこら中に見え始めた。しまなみ海道とは、本州と四国を歩いて渡れる道で、私達は向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島を通って愛媛県に入った。この道は歩道も広く、橋と海と島の景色が素晴らしいのでもし機会があったら是非皆さんにも通ってほしい道のひとつ^^
丁度広島県から愛媛県に入る手前のみかん畑で、そこで働く人達に出会った。両脇がミカン畑のものすごい坂道を竹馬で登るミックをみんなで応援してくれていた。私もそこに到着すると、おじさんが「みかん持ってきな!」と言ってくれた。しかしすでに今までの島でもリュックが一杯になるほどみかんを頂いたので丁重にお断りしたところ、
「うちのみかんは世界一だぞ!食べないと後悔するよ!今食べてみな!」とみかんを渡された。世界一という言葉にそそられて、その場で頂くと本当に甘くておいし~い☆持ちきれないほどみかんを持っているにも関わらず、また何個か頂いて行くことにした。おじさんありがとう!さすがみかんの産地だけあって、本当に会う人会う人みかんをくれる。しかもそれがはずれなく美味しい。そして山一面にオレンジ色のみかんがなっている様子はとても綺麗だ。愛媛に入ってからこの旅で初めて熱を出すほどの風邪をひいてしまったのだが、それほど大事に至らなかったのは毎日みかんを食べていたお陰だろうか^^
ところで、皆さんは愛媛県には行ったことがあるだろうか?私はこれが初めてだったのだけど、愛媛県の人たちは本当にフレンドリーで旅人に優しい。お遍路さんが多いから旅人慣れしているのもあるのかもしれないが、会った人み~んな明るくて優しくてフレンドリーだった。
ほんの一瞬話しただけの私達の後を必至で追いかけてきてくれて、「自分も若いころ苦労したからなんとなくあなたたちの苦労が分かる。元気で頑張ってな」と涙をこぼしそうになるおじさん。
お風呂で私がよそから来たのを見て分かって、「こっちの潮湯に入んなさい。体が温まるから。」と教えてくれたおばあちゃん。
竹馬が壊れて直しているときに工具が無くて困っている時に、助けてくれた双海の道の駅のおじさん。
「すみません、ドリルありますか?」「うん、あるよ」
「すみません、のこぎり貸して頂けますか?」「うん、いいよ」
こんな怪しい質問にも動じることなく快く貸してくれた。
私が熱があってフラフラの時に行った温泉で、さんざん横になって休んだあと帰る時に、嫌がる顔一つみせず「ここ11時までだからもっとゆっくり休んで行って下さい」と言ってくれたスタッフの方。

他にもみかんや差し入れをくれたり、裏庭にテントをはらせてくれたり、新聞をみて追いかけてきてくれたり、宿を提供してくれたり、数え切れないほどたくさんの出会いに恵まれた。本当にありがとう!愛媛県。

そしてついに壊れてしまった私の竹の代わりに廃墟の横で調達してきた愛媛の竹。たまたま見つけた竹藪の横にたまたまのこぎりがあって、たまたま私の竹馬にぴったりの竹を見つけた。これはもう運命でしょう!竹藪に入った時に、たくさんの竹の中からその竹がミックに呼びかけて来たそうだ(ほんとかなぁ!?)愛媛の竹、ポンゴNo2、これからよろしくね☆

posted by Mick and Miki Tan @ 15:13, ,




竹馬をやめたくなった日

この旅を始める前にミックの働く高校の生徒が私達のチャレンジについて取材をし、ドキュメンタリービデオを作成してくれた。その時の生徒の一人が、こんな質問をしたのを私は今でもよく思い出す。
「このチャレンジをやろうと決めてから今まで、やっぱり無理だ、諦めようと思ったことはないんですか?」
この質問に対する答えはNoだった。こんな無謀なチャレンジを計画してしまい、始めたくないな~とか、不安だな~とかは常に思っていたけど、不思議と「じゃ、やめよ」と考えたことはなかった。それは旅を出発してからも同じで、辛いことや苦しいことの連続だけど「もう諦めたい。無理だ」と思ったことはなかった。

―――兵庫県に入るまでは。。。
(でも決して兵庫県が嫌だったとか、そういう意味ではないので誤解しないでください(汗))

原因としては、
1:今までずっと日本海側の静かな海の見える道から、太平洋側の車通りの多い国道に移ったこと
2:日本海側の道は交通量も少なく、人とのふれあいも多かったが、
  太平洋側に移ってから交通量の多い道を歩いていたこともあって、地元の人と話す機会が減った
3:兵庫県を歩いている間大阪の姉の家を拠点にしていたので、暖かい家庭の味をしめてしまって
  旅をやめたくなった
4:これ最大の原因。ミックとの喧嘩が増発したこと
  (おそらく上記3つのことが原因でストレスがたまっていたのだと思う)

兵庫県に入って、私もミックも2回ずつ派手に転んだ。重い荷物を背負ってるから一度転がったら自分では止まれない。私は人どおりの多い交差点で、顔から転がり落ちてしまった。転んだ時はすべて2人が言い合いをしていて歩きに集中していなかった時だ。
ネガティブな思考が重なりに重なって、私はついに爆発した。ミックにも八つ当たりしまくり、
「もうヤダ!もうどうしてこんなバカげたことしてるか理由が分からなくなった」
と泣きじゃくった。ついには竹馬で歩く気にもならず、竹馬を降りて歩き始めた。ミックはミックで私の行動にあきれ果てて、
「もう諦めて電車で帰れば?誰も実希がここまでこれると思ってなかったから今家に帰ったってだれも責めないよ」
と言い放った。私は何もかもムカついて、呼吸するのも苦しくなるほど頭に来ていた。
私達を見ているすべての歩行者が私達をあざけ笑っているように見えた。
家に帰ればと言ったミックが私を馬鹿にして軽蔑しているように見えた。

なんで竹馬なんて馬鹿げたことやってるの?
こんなに辛いことしていったい何が得られるの?
なんで?どうして?わからない。目的を失ってしまった。

そして色んな考えが頭を駆け巡った。
今電車で帰ったら楽だろうな~
家に帰ったらきっとみんなびっくりするだろうな~
責められはしないけど壊れものを扱うみたいにされるんだろうな~
ここで諦めたら今までサポートしてくれた人たちはどんな顔するんだろ?
何年後かに自分のことどう思うんだろ?
だいたいミックが優しく慰めてくれたらこんなに意地はんなくてすんだんだよ!
ばーかばーか!
いや、でもあれはちょっと子供じみてたな。自分もあんなことやられたらもっと怒ってただろうな。
でもいまさら謝るのもやだし。。

今までどんなに苦しくてもミックがいたから何とかやってこれたのに、今回はその最大の味方を敵に回してしまったことに気づいた。どうしよう。一日悩んで次の日平謝り。なんとか一件落着でことがおさまり、味方を取り戻した私。

すると、昨日とは世界がまったく違く見えた。笑いかけてくれる人が優しく見えた。歩道が少し広くなっただけで嬉しくなった。自分のほんの少しの感じ方でこんなに世界が変わるなんて本当に驚きだ。

とにかく私の初めての竹馬挫折の危機をなんとか乗り越えた。あ~良かった!

↓雨の姫路城。紅葉もきれいで素晴らしかったです。

posted by Mick and Miki Tan @ 22:34, ,




ナチュラル・フォー 赤川マネージャー現る!

広島県福山市でお会いした赤川さんとの出会いが転じて、ナチュラル・フォー株式会社が私達の活動をサポートして下さることになりました。
そもそもナチュラル・フォーとは、カルシウム補給用ミネラルウォーター“ベッシー”を販売している会社です。赤川さんはそこのチャリティ事業部で働いていて、私達のチャリティ活動にも協力したいと言って下さいました。ベッシーを購入すると、その売上の一部がナチュラル・フォーで認定された各種団体に送金されるというシステムです。
赤川さんは私達と会ってからというもの、マネージャーの様にメディアサポートに駆け回って下さいました。広島、愛媛、これから行く九州で私達がメディアに取り上げられるのは、一重に赤川さんのおかげといっても過言ではありません!ただ純粋に私達の活動をもっといろいろな人に知ってもらいたいという赤川さんのお気持ちに本当に感謝します。どうもありがとうございます!



posted by Mick and Miki Tan @ 22:08, ,