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25日にNHKラジオ第一 ラジオビタミンに出演します!


更新が大分ご無沙汰してしまってすみません!
明日の朝10時5分から11時までNHKラジオ第一のラジオビタミン、ときめきインタビューというコーナーに出演させて頂くことになりました☆
皆さん是非聞いてみてくださいね!
こちらの番組です→ときめきインタビュー

posted by Mick and Miki Tan @ 18:07, ,




1月12日朝10時 MBC南日本放送で放送されます!

1月12日朝10時にMBC南日本放送で私たちのドキュメンタリーが放送されます。
ゴール前から密着取材をして下さったStudio FiLceの高橋さん、本当にありがとうございます!
最後まで一緒に歩いてくれて、ゴールの時には昔から知っている親友と一緒にいるような気持ちでした。
放送、楽しみにしております^^

こちらからCMご覧になれますのでぜひ見てみてくださいね☆

posted by Mick and Miki Tan @ 6:55, ,




竹馬行脚、最後の日

今日は佐田岬まで約20キロ。報道関係の人には2時から3時の間にゴール予定と伝えたのでその時間に間に合わせるように歩かなくてはいけない。昨日古賀さん達から相当きついと聞いていたので、朝の6時に起きて出発の準備をした。高橋さんがカメラを持って撮影している。私は朝はめちゃめちゃ弱いのだけど、今日は5時に目が覚めていたので意外とすっきりとした気分だった。まだ暗い中、3人で朝ご飯を食べた。昨日買ったパンとポンカン。ミックの竹馬のゴムを張り替え、7時半に伊座敷を出発。昨日の風がまだ収まらず、今日もかなりの強風。そしてスタートしてから4キロ位ずーっと上り坂。なるほど、、これは辛いなぁ~(涙)でも足のコンディションも良く、1時間半ほどで4キロ上った。そこから下を見ると、今朝出発した町が小さく見えた。こんなに登ってきたんだ!
そしてまた再開。橋を渡って谷に入ったところでものすごい強風が吹いた。二人とも吹き飛ばされそうになった。これ、今までで最強に強い風かも。しかもこの上り坂。最後にふさわしい試練だね~と二人で言いながら歩いた。大泊の料金所の手前に着いたのが11時ころ。ここで古賀さんとまさみさんが待っていてくれた。みんなでお昼を食べてまた再開。
料金所から道が二手にわかれるのだが、左側はかなり山道がハードだけど短い(5キロ)コース。右側はゆるやかな山道だが長い(8キロ)のコース。さぁどっちを取る!?悩んだ結果、右側の超ハードコースを選択。古賀さんから、
「ここからが富士山か!?ってくらい上り辛いから頑張ってね~」
と言ってニヤリと笑った。私たちも笑って、最後の峠に覚悟を決めた。ここからが本当の勝負。冗談抜きで今までの山道で一番辛い上り坂だった。ミックの頑張れ!という言葉が何度も聞こえた。はじめの頃は「今でも十分頑張っているのにこれ以上頑張れないよ~」と卑屈に感じたこともあったが、今日は素直にありがたかった。思えば北海道から九州からの道のり約3000キロを歩き続けてこれたのは、ミックがいつも私を元気づけてくれて、笑わせてくれて、辛い時もいつも一緒にいてくれたからだ。ムカついたこともたくさんあったけれど、今日この日を一緒に笑顔で迎えられたことを本当に嬉しく思う。
途中、横風が激しすぎて竹馬ごと横に吹き飛ばされた。自分の足でも立っているのが難しかった約100mの間、応援にきてくれた古賀さんがキャンパーバンで並走して風を防いでくれた。その間、竹馬で降りて歩くことも出来たがそれはしたくなかった。今日は風が吹いてもどんなに坂がきつくても歩道がなくて大型トラックが通っても、絶対に竹馬で歩き続けようと2人で決めた。だからずっとミックと励ましあいながら、笑いあいながら最後の20キロを歩き続けた。そしてその気持ちを尊重して全力で助けてくれた古賀さんご夫婦や、メディアの方たちに心から感謝したい。あと3キロ、あと1キロ、あと500m、あと100m、あと10歩。みんなにもう少し、もう少しと応援されながらゴールへの道を一歩一歩。ミックと「あと少しで終わりだね。さみしいね。。」と少しペースを落として歩く。佐田岬料金所の手前の駐車場が見えてきた。そしてその先には3日前にお世話になった野村さんがお花を持って手を振っていた。ミックと私、同時に「野村さん!!」と叫んだ。そしてそこからどうやってゴールに辿り着いたのかは覚えていない。夢中で野村さんのところまで行っていつの間にかそこでミックと野村さんと方を抱き合っていた。野村さんはあれから私たちのことが気になってしょうがなくて今日もここでお花を用意して待っていてくれたのだ!たった一日しか一緒にいなかったのに、まるでご自分の孫の様に私たちのことを心配してくれて待ってていてくれた野村さん、本当に感動しました。ありがとうございました!
そのあと、私たちは料金所を越えてほんとのほんとの最南端に向かった。報道陣の方も古賀さんとまさみさん、野村さんも着いてきてくれた。道が狭く、転んだら山か海というところだったのでみんな心配して先を歩いてくれた。
佐多岬の最南端に到着したのは2時30頃。ミックと顔を見合せたが、なんだか実感が湧かない。
ここが佐田岬、日本列島の最南端。今までの189日と3000キロの私たちの旅がついに終わった。
応援団の皆さんと報道陣の皆さんとひとまず「ヤッター!」と喜んでいると、その先になんと!富山で会った人力車カップルの祥平君と水帆ちゃんが岩の陰から顔をだしているじゃないか!この時ほど驚いた時はないかもしれない。私は
「え~~っっ!!!?なんでここにいるの!!!?」と叫んだ。二人はダーっと走ってきて白いシーツを広げた。それは祥平君と水帆ちゃんと、今二人がお世話になっている長崎のご家族が作ってくれたゴールののぼりだった。昨日徹夜で作ってくれたらしい。ちょっと泣きそうになったがぐっとこらえた。この間あった時も思ったけど、なんて粋な二人。自分たちも旅中なのにここまで来てくれるなんて。本当に嬉しかったし、この時「あ、私たちゴールしたんだ」と実感した。
2日前に買っておいたシャンパンをその場で開けて、ネッピー館でもらった湯呑でその場にいる人達と回し飲みした。
そこにいたのは報道陣の皆さんと応援団の古賀さん、まさみさん、野村さん、山下さんご夫婦(わくわく太郎先生のお知り合いで応援に駆けつけてくれました!)、祥平君&水帆ちゃん。一昨日までは、2人きりでゴールするのかと思っていたのにこんなに集まってくれるなんて嘘みたい。
そしてひとしきり取材と写真撮影が終わり、駐車場に行ってしばらく話している間に、中所さんファミリーが到着!中所さんはラジオの収録を終えて、宮崎市から佐田岬までの道をぶっとばして来てくれたのだ。車には中所さんのお母さん、妹さんファミリーのさとこちゃん、しんごくん、くれあちゃん、まなとくんも乗っていた。宮崎県最後の時に会った時以来、ずっとまた会いたいと思っていたこのご家族が最後のこの場所に来てくれた。なんだか夢を見ているみたい。
1月5日、14時30分 佐多岬ゴール。7月1日に北海道宗谷岬を出発してから、3000キロの道のりをたくさんの人に支えられてここまで来た。この旅を始める前は、日本人であることにそこまで誇りを持っていなかった。この旅を始める前は、日本がこんなに素晴らしい国だと思っていなかった。でも、この6か月ですべてが変わった。今なら私は日本は素晴らしく暖かい人々で溢れている国だと、胸を張って言える。このチャレンジのきっかけを作ってくれたミックに、今まで支えてくれた家族や友達に、そしてこの旅で出会ったすべてのひとに感謝して、この竹馬日本縦断の旅を終りにしよう。今まで本当に、本当にありがとうございました!

posted by Mick and Miki Tan @ 6:20, ,




佐多岬前夜祭

ゴールの前日、思いもよらぬ応援団が駆けつけてくれた。それは古賀さんとまさみさん。お二人とは北海道を出発して間もないころ、初山別のキャンプ場で出会ったのだ。古賀さんは私たちを見たとき、なんで竹馬持ってんだろ?と疑問に思い、つい話しかけたという。私たちが竹馬で日本縦断すると言ったとき、「うそだろ~絶対途中で断念するな!」と思ったらしい。お二人は鹿児島在住だというので、ゴールの時に会いましょうと言って別れた。その時間約2,3分。それからまさみさんがちょくちょく私のブログをチェックすると、どんどん鹿児島に向かってくるのを知って「ホントに来てるよ!」とびっくりしながらも、何度もコメントをいれて応援メールを送ってくれた。そして遂に、数日前宮崎で会うことが出来たのだ。旅の本当にはじめの頃にお会いした二人に再会することが出来て、信じられない思いと本当にここまで来たんだという思いが交差した。その二人がゴールの前日、鹿児島市内からキャンパーバンで応援に来てくれたのだ!本当は明日のゴールで驚かせようと思ったのだけど、佐田岬までの道のりがあまりにも大変だったのでこれは教えてあげないとまずい!と思ったらしい^^;
そんなんで、ゴール前日の前夜祭をすることになった。メンバーは古賀さん、まさみさん、そして鹿児島県に入ってすぐに出会ったTV制作会社の高橋さん、そのお友達のご夫婦。
高橋さんは私たちを見かけ、話を聞いてドキュメンタリーにしたいと密着取材をしてくれていたのだ。明日も起きるところから取材したい!と車内泊覚悟でここまで来てくれた。高橋さんは今年一番の仕事で私たちの取材をすることが出来てとても嬉しいと言ってくれた。本人も昨年は大変な年だったので、心機一転頑張ろうと決意したばかりの時に私たちを見つけてくれたのだ。
初めにテントを張った場所は港の近くの駐車場。しかしここの風が半端なく強かった。山形であった台風のときよりも強くてとてもテントを維持できる状況ではなかったので、地元の人に聞いた市役所の外のロビーに張らせてもらうことにした。そこで10時頃まで飲んで話して、今までの思い出などを語った。本当に明日で最後なんだなぁ。。なんだか信じられない。今日寝て、明日が来るのが怖い。不思議なことにこの気持ちは北海道の宗谷岬を出発する前日の夜の気持ちと全く一緒だった。スタートした日は、終わる日が怖いなんて思うとは想像もしていなかった。今まで本当に楽しかった。明日は泣いても笑っても最後。絶対に後悔しないよう、一歩一歩踏みしめて歩こう。

posted by Mick and Miki Tan @ 16:43, ,




佐多岬前日


今日は根占温泉ネッピー館から伊座敷までの20キロを歩く。天気は最高!桜島が噴火して煙が上がっているのが見える。ここからあと45キロのところに佐田岬があるのかぁ~。そう思うと今まで歩いてきた道のりが走馬灯のように蘇ってきた。
7月1日にスタートした雨の北海道。まだ竹馬にも慣れていず、毎日ミックとささいなことで喧嘩を繰り返した。あの頃は歩道が狭くなるだけで歩きづらいと文句を言っていたっけ。本州に入ってからは歩道がない道なんて当たり前なのに、北海道の道の広さが当たり前だと思っていた。私が知っている日本とは景色も人も全く違う北海道。始まりが北海道じゃなかったらこの旅はもしかしたらやり遂げられなかったかもしれない。
そして北海道を終えて初めての本州、青森県。北海道であった旅人の人に何度か、本州は北海道とは違うよ~覚悟しておいた方がいいよ~と言われた。だから青森に来た時は学校を転校した時の様にドキドキした。でもそんな不安はすぐに消えた。ねぶた祭りにも参加出来てたくさんのライダーさんとも知り合いになれた。イタリア語みたいな津軽弁が大好きになった。初めての日本海はとても綺麗だった。
そして山越えをして入った秋田県。すぐに思い出すのは一面に広がる田んぼの景色と白い砂浜。ミックが必至に探した縄文遺跡。八森の道の駅。ババヘラアイス。
そして秋田県と山形県の県境を越える時、海の真上を歩く綺麗な歩道に感動したのをよく覚えている。おくりびとで有名な酒田市で過ごした一日。キャンプ場で食べた芋煮(高梨さんありがとう!)。畳の部屋の24時間休憩所がある温海の道の駅で、他の旅人達と過ごした夜。
北海道の次に長かった新潟県。新潟市はとても大きな都市なのに、上には南国のような笹川流れの白浜があって、下には糸魚川のジオパークがある。都市と自然が共存している県だと思った。親戚の真君家族と悟君家族にも何年ぶりかに再会することが出来た。
そして富山県。お米とお水が一番おいしい県だと思った。富山県のある人が言った、
「富山の人達は富山を自慢しないけど、実は大好きで誇りに思ってるんだよ」と言う言葉がぴったり当てはまる。あまり目立たないけど実は素晴らしいものをたくさん持ってる富山県。
石川県は4日ほどで通りすぎてしまったけれど、富山県から石川県に入る日に27キロ歩いたことは絶対忘れない!そして初めて遭遇した台風も貴重な体験だ(笑)もう一度ゆっくり兼六園や金沢駅を探索したいな。
そのあとは福井県。福井県はなんと言っても若狭湾。鯖江の方を通るか若狭湾を通るか迷ったのだけど、若狭湾にして本当に良かった!ここから見た夕日、海の景色、カフェMARE、
毎日の竹馬行脚が初めて素直に楽しいと思えた場所。
福井県の後のルートを急きょ変更して滋賀県に行くことになった。魔の161号線、大型トラックがせわしく行きかう狭い山道を25キロ歩いて入った滋賀県。でもルートを変更して大正解だったと思った。琵琶湖沿いを歩くのは本当に楽しかった。
京都は2日ほどしか歩かなかったが、フランス人の友達が京都まで応援に来てくれた。竹馬と京都。ルートを変更しなければ実現しなかったこの組み合わせ。この場所で彼らに会えたことを嬉しく思った。
そして姉夫婦が住む大阪。ついつい甘えて1週間も休んでしまい、竹馬のやる気を上げるのが大変だった。初めての大きな国道で、忙しく行き交う車の波に戸惑いながら歩いたけれど、この道を乗り越えられたのは姉夫婦のサポートがあったからだと思う。
大阪に引き続き、兵庫県も国道を歩いた。姫路城の紅葉が素晴らしかった。兵庫県で竹馬を初めてやめたいと思った。本気で家に帰ろうと思った。でもあの時やめなくて本当に良かった。そのあと赤穂浪士がたどった道を歩き、あれぐらいでめげていた自分が恥ずかしくなった。赤穂市の自転車屋さんから頂いた自転車のゴム(竹馬の下につけるゴム)は最後までもつほど丈夫で本当に助かった!
岡山県。初めて凍えるような雨に出会った。両親から送ってもらったダウンを初めて着た。岡山市市内のコンビニの前で、3匹の野生の鹿が山から降りてきてじゃれあっているのを発見した。たくさん人が通るなか、その鹿を発見したのは私たちだけだったみたいで、私たちを見るとすぐに逃げて行ってしまった。これがこの旅の中で見た一番の嬉しいサプライズ。
原爆ドームのことしか知らなかった広島県。でも広島県には綺麗なところがたくさんあることを発見。尾道での休養は今までで一番充実した一日だった。そして初めて子供たちに私たちのチャレンジを伝えられた場所でもある。赤川さんや網引サッカークラブの皆さんに感謝。
美しいしまなみ海道を渡って愛媛へ。本当は、山口県から福岡、熊本、鹿児島と行く予定を変更した。広島から愛媛に歩いて渡れる歩道があることを教えてくれたワニベさんと義理の兄(マサ)には本当に感謝してる。もし元のルートで行っていたら間違いなく雪山で竹馬行脚は断念していただろう。(怖い!)愛媛ではみかん、みかん、みかん!そして初めて風邪を引いて熱を出しながら歩いた。
そして大分県。初めて山の上に雪が積もっているのを見た。そしてテントの周りに霜が張って凍えるなかキャンプをした。終わりに近づくにつれ、竹馬行脚の旅が終わるのが初めて怖く感じた県。だってこの旅が終わったら今まであった様な新しい出会いはなくなってしまう。
クリスマスとミックの誕生日を迎えた宮崎県。海の綺麗さで言ったら(私の好みですが)宮崎県の日南海岸が一番!そして歩道の素晴らしさも一番!チキン南蛮も大好きになった。
そして最後の鹿児島県。桜島と開聞岳、そして先に見える佐多岬。この旅中で一番ゆっくりと時が流れた県。私たちが一歩一歩今までの思い出を噛みしめながら歩いてきた県。
そしてどの道府県にも共通するのは、何度も言って来たけど素晴らしい人たちとの出会い。日本がこんなに素晴らしい国だとこの旅をしなかったら分からなかった。日本人がこんなに優しいことをこの旅をしなかったら気付かなかった。ゴール前日になって改めてこの旅を始めて本当によかったと思う。たった6か月間だったけどこの間に得た出会いや経験はこれから先私の大切な財産になるだろう。

posted by Mick and Miki Tan @ 16:40, ,




ネッピー館でハッピーな結婚記念日


このチャレンジを始めて約6か月。始める前にDiscovery Roadという本を読んだ。その本は、男2人、女1人でアメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリアを自転車で旅をしながらチャリティ活動をするという本だった。その中の男1人と女1人はカップルだったのだが、旅を始めて3か月で別れて女は帰国し、その先は男2人旅となった。他にも旅はカップルですると別れるとか、うまくいかずに失敗するとかそんな内容の本を読んだ。だからこのチャレンジを始める前に私たちは大丈夫かと不安に思うこともあった。実際旅中でも「もうヤダ!」と思うことは何度もあって、喧嘩のたびに長~い暗~い話し合いが繰り返し行われてきた。この6か月の期間にあった喧嘩の回数を数えたらおそらく半分以上は喧嘩してたんじゃなかろうか・・。でも、今までは喧嘩をしても仕事があったり予定があったりでじっくり話合いが出来ず解決出来ないまま終わってしまうことが多々あったけど、2人だけで旅をしているから解決出来ないまま一緒にはいられないので、お互い理解出来るまで何時間でも話しあった。だから旅を始める前よりもずっとミックのことを理解出来るようになった。このチャレンジも、私がいない方が早く進めるしうまくいくんじゃないかと思ったこともあったが、2人じゃなかったら絶対に出来なかったと今は思う。そんな中で迎えた2度目の結婚記念日。私は温泉に入れれば良かったので、根占温泉ネッピー館の隣に公園を見つけたときに、「よし、今日はあそこに野宿だな」と思っていた。(以前は野宿という言葉に抵抗があったのでなるべく使わなかったのだけど、もういい加減慣れたので言います、野宿です、ハイ)
リュックの中からお風呂道具をロビーで出して用意していると、ミックが温泉券を買ってくると行ってしまった。戻ってくると、
「今日はお風呂の用意しなくていいよ。ここに泊まるから」
と言った。私は「え~っ!!」と思わず叫んだ。「なんで!?野宿は?」
「今日は結婚記念日だからここの人に交渉して特別に部屋を用意してもらったから」
と満面の笑み。クリスマスのサプライズに続きここでもサプライズなんてすごい!いつも竹馬で大変な思いをしているから、こんな時は本当に嬉しい。しかもネッピー館の館長さんが薩摩焼酎と湯呑をプレゼントしてくれた。佐田岬ゴール直前に、本当に最高の結婚記念日になった。きっとこの日のことは一生忘れない。ありがとうミック!ありがとうネッピー館!
ちなみにこのネッピー館の館長さん、次の日にも歩いている途中応援に来てくれて、お水を差し入れしてくれた。そしてなんと結婚記念日の日、実は館長さんの誕生日でもあったらしく、同じ日にお祝いする場所としてネッピー館を選んでくれたのが嬉しかったのだと言ってくれた。そしてなんと私たちのチャレンジを心から応援してくれた館長の須崎さん、ネッピー館に募金箱を置いて下さるとのことです。本当に本当にありがとうございました!

posted by Mick and Miki Tan @ 16:39, ,




九州最高!



九州に来るのは実はこれが初めてである。大分県の臼杵市から南下し、宮崎県、鹿児島県と歩いて行った。臼杵市から歩き出して1日目の感想。
「このチャレンジの最終地点を九州にして良かった!」
九州に入る直前にミックの教え子から手紙があって、その子は鹿児島で育ったのだそうだがその子の手紙にはこう書いてあった。
「九州の人は自分が知るなかで一番フレンドリーな人達です。最後までよい旅を」
その言葉に納得。大分県の人たちは私たちのことなんて知らない。でも竹馬で歩いていたらほとんどの人たちが声をかけて応援してくれた。公園で野宿してもいいかという問いにも全く動じず、逆にどこが一番寒くないかと心配してくれる。もう12月に入っていたけれどまだ気候は暖かかったし、山道も綺麗。可愛いワンマン電車が走っていて鉄道写真家には堪らないスポットがたくさんありそう。九州の第一印象、とにかく最高でした。
そして宮崎県に入ってからはなんと言ってもサンシャインFMの中所さん。彼女が毎日私たちをラジオで紹介してくれたおかげで、宮崎県を歩いている間本当にたくさんの人が声をかけてくれた。宮崎はとにかく歩道が綺麗。山道でもきちんと歩道が整備されていてとても歩きやすかった。海も南国のようで素晴らしい景色を楽しめた。
鹿児島県はこの旅の最後の県。それにふさわしく、たった5日間だったのに素晴らしい出会いの連続だった。お正月の時期だったのでお店や旅館も開いていないことが多かったが、地元の方がおせち料理を持って来てくれたり、おもちを食べさせてくれたり、本当に助けられた。そしてなんと言っても海岸からみえる桜島と開聞岳の景色が素晴らしい!桜島が噴火して煙をもくもく出している様子が見えた。最後の日が近づくまで、わくわくどきどきの連続だった。九州を最終地点にして本当に良かった!九州の皆さん、本当にありがとうございました!

posted by Mick and Miki Tan @ 16:36, ,